「ペンギン・ハイウェイ」
2010年09月01日
吉祥寺(武蔵野市、三鷹市)の税理士事務所、
宮内会計事務所に勤める税理士の卵です。
今回紹介するのは、5月末に角川書店から発売された
森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』。
帯に書かれている宣伝コピーによれば
彼の、小説家としての新境地だそうなので、
かなり期待をしながら読みました。
なるほど確かに、これはある意味、新境地です。
ただ、全くの新境地・新機軸というより、
これから先に森見登美彦作品が
どのような方向に向かっていくのか、
いくべきなのかを自身が探るにあたっての
試行という位置付けとしての新境地、
という感じでしょうか。
主人公が小学生だとか、
京都が舞台では無いとかいうことをはじめ、
これまで森見作品の持ち味とされていたものとの相違点を
挙げようと思えば幾つか列記することはできます。
ただし、基本的に作品の根底に流れている空気感とか、
憧れのお姉さんと主人公との関係性とか、
そもそも主人公の、理屈が先に立つような性格とか、
そういうところは相変わらずいつも通りの森見節。
今まで読んだ森見登美彦作品の中で一番異色なのは
『きつねのはなし』(新潮社 新潮文庫)だと私は思っていますが、
その路線を踏襲していたり更に推し進めてきたりしたわけでもなく、
従来の「腐れ大学生モノ」が代表するような森見作品を
愛読してきた読者にとっても、
それほど違和感も無く読めるような作品だと思います。
ただ、「腐れ大学生モノ」
あるいは『有頂天家族』(幻冬舎 幻冬舎文庫)のような、
良い意味で雑然としたテイストを期待していると、
ちょっと裏切られるかもしれません。
全体的に、やや抑制されている語り口で
物語が進んでいる印象があるので。
この「抑制」は主人公が小学生だからだ、
ということによるところも大いにあるでしょう。
やや頭でっかちで理屈が先に立つとはいえ小学生は
『四畳半神話大系』(角川書店 角川文庫)の主人公のように
妄想肥大的理論武装はしませんし、
お姉さんのおっぱいに惹かれているからといって、
『恋文の技術』(ポプラ社)の主人公のように
おっぱいを連呼しまくった挙句に
「方法的おっぱい懐疑」なる理論をひねり出したりもしません。
森見作品の、あの純情と煩悩の一大万華鏡である饒舌なモノローグが、
小学四年生を主人公にしたことにより、
よりウブでもっと淡いものになっていることで、
物足りないと感じる人も多いのではなかろうかと思われます。
ただ、本作に描かれた、
謎めいた年上のお姉さんへに対して抱く少年のほのかな憧れ、
心の疼き、そして、このラスト……
かつて「男の子」であった大人、
それも、あまり運動をしない読書好きの「男の子」であった大人には、
なんというか、こう、ぐっとくるものがある作品でした。
良いものを読みました。
宮内会計事務所に勤める税理士の卵です。
今回紹介するのは、5月末に角川書店から発売された
森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』。
帯に書かれている宣伝コピーによれば
彼の、小説家としての新境地だそうなので、
かなり期待をしながら読みました。
![]() | ペンギン・ハイウェイ (2010/05/29) 森見 登美彦 商品詳細を見る |
なるほど確かに、これはある意味、新境地です。
ただ、全くの新境地・新機軸というより、
これから先に森見登美彦作品が
どのような方向に向かっていくのか、
いくべきなのかを自身が探るにあたっての
試行という位置付けとしての新境地、
という感じでしょうか。
主人公が小学生だとか、
京都が舞台では無いとかいうことをはじめ、
これまで森見作品の持ち味とされていたものとの相違点を
挙げようと思えば幾つか列記することはできます。
ただし、基本的に作品の根底に流れている空気感とか、
憧れのお姉さんと主人公との関係性とか、
そもそも主人公の、理屈が先に立つような性格とか、
そういうところは相変わらずいつも通りの森見節。
今まで読んだ森見登美彦作品の中で一番異色なのは
『きつねのはなし』(新潮社 新潮文庫)だと私は思っていますが、
その路線を踏襲していたり更に推し進めてきたりしたわけでもなく、
従来の「腐れ大学生モノ」が代表するような森見作品を
愛読してきた読者にとっても、
それほど違和感も無く読めるような作品だと思います。
ただ、「腐れ大学生モノ」
あるいは『有頂天家族』(幻冬舎 幻冬舎文庫)のような、
良い意味で雑然としたテイストを期待していると、
ちょっと裏切られるかもしれません。
全体的に、やや抑制されている語り口で
物語が進んでいる印象があるので。
この「抑制」は主人公が小学生だからだ、
ということによるところも大いにあるでしょう。
やや頭でっかちで理屈が先に立つとはいえ小学生は
『四畳半神話大系』(角川書店 角川文庫)の主人公のように
妄想肥大的理論武装はしませんし、
お姉さんのおっぱいに惹かれているからといって、
『恋文の技術』(ポプラ社)の主人公のように
おっぱいを連呼しまくった挙句に
「方法的おっぱい懐疑」なる理論をひねり出したりもしません。
森見作品の、あの純情と煩悩の一大万華鏡である饒舌なモノローグが、
小学四年生を主人公にしたことにより、
よりウブでもっと淡いものになっていることで、
物足りないと感じる人も多いのではなかろうかと思われます。
ただ、本作に描かれた、
謎めいた年上のお姉さんへに対して抱く少年のほのかな憧れ、
心の疼き、そして、このラスト……
かつて「男の子」であった大人、
それも、あまり運動をしない読書好きの「男の子」であった大人には、
なんというか、こう、ぐっとくるものがある作品でした。
良いものを読みました。